大井上 博のプロフィール
1978年 大学卒業後、大手企業に技術者として就職
1982年 入社4年目にその会社が世界に先駆けてCDプレーヤーを開発、発売することになるが、そのCDプレーヤーに搭載されるキーデバイスを生産するための重要工程である、調整・評価装置のすべてを一人で開発・設計・最終検査までをした。万が一この装置の納期が間に合わないと世界初の座を他社に明け渡す事になるので、上の人たちはすごく心配していたようだ。その後無事にキーデバイスは生産され、世界初のCDプレーヤーに搭載された。このCDプレーヤーは現在、米国のスミソニアン博物館に一台保存されている。
1982〜 その後、光ディスクのキーデバイスを安価にするための仕事に変わり、新しい方式を色々と生み出し、量産されていった。そしてCDが世の中にどんどん普及していく。
1990〜 管理職になった。もはや自分で物をいじることが出来なくなった。管理職というのは自分がやりたい事を多くの人に伝達して、それぞれから結果の報告を受け、また伝達して全体の仕事を進めるので、一人では絶対にこなせない大きな仕事をやった気になれる、また評価されると言う醍醐味がある。技術者を育てるという事も面白い。しかし、その反面、いつも人を相手に動いているで、物を作り上げた時だけ得られる格別の達成感という感覚は決して得られないことにも気が付いていく。
2003年 物を作りたい、いじりたいという感覚が沸いてきた。そhして、長年演奏していたサックスをいじりだした。中国製の安価なテナーサックスをまたともにしたいと思って、改造という作業をするようになった。改造により音がどんどん変わっていくので、おもしろい。技術者の魂がしだいに呼び起こされた。
2004年 「挑戦!アメセル音追求」という改造記事をnetJazzTimeに載せて見た。ここで特殊調整・特殊加工という手法を見出し、また2番管とU時管の半田付けも初めてやってみた。特殊調整・特殊加工は具体的な内容を公表していないが、2番管とU時管の半田付けはわかりやすいために多くの人がそれを追従した。そして、ついには楽器店や業者までもが取り入れるようになった。また某有名楽器店ではオリジナルモデルに半田付けをやり始めた。元々アメリカンセルマーのサックスが半田付けされていたのは周知の事実であったが息漏れ防止のためと思われていた。しかし技術者である私は息漏れ防止だけなら接着剤で事が足りるが、なぜ半田付けにこだわるのかという事を考えて見た。そして、キーデバイス開発で養われた技術者としての洞察力が功をそうして、「半田付けと接着では管体の共振系が全然違う」と言う結論になった。すなわち管体の振動が全然変わってしまう。
2006年 台湾製のサックスが台頭して来た。それで台湾から良質なサックスを買って、アメセルのような調整・加工をして販売しようと思った。ところが台湾メーカーからオリジナルブランドでもOKという話を聞いて、それに乗りELKHEART
Model.Sixというテナーサックスを販売はじめた。
〜現在まで Model.Six AULを発売開始、また退職後、「サックス工房 エルクハート」を立ち上げて、サックスの製造、修理、販売を生業として活動中。
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